認められれば資金の貸出
現在の三井は、16世紀の三井家から三井グループへと発展を遂げました。高利の死後、三井家の事業は嫡男・三井高平(総領家当主)が高利の遺言に従い、宝永7年(1710)に京都に設置した「三井大元方」によって初めて総括されました。三井大元方とは、三井家全事業の最高統制機関として京都・江戸・大阪の越後屋呉服店および両替店を総括し、三井家の財産を一括管理していました。今で言うところの資本金は15万両と言われています。そのほかにも、親族が新たな事業を行いたいと申請して、認められれば資金の貸し出しを行っていました。こうして延亨2年(1745)には、三都市にあった両替店の商益は最大になりました。維新後の明治5年(1872)には呉服業分離に伴い、両替店を中心とした「三井組」が成立しました。その後、明治26年(1893)に「三井家同族会」と「三井元方」が設置されました。